ホーム > 院長紹介 | 自律神経症状の早期改善なら、大阪市北区の漢方式鍼灸院「大阪市てんま吉祥堂」
当院のHPをご覧になっていただき、誠にありがとうございます。このページで、私の自己紹介をさせていただきます。
○育ち:東京都武蔵野市吉祥寺
○趣味: 野球、武術を始め運動全般、手品、サックス、料理
○好きな言葉:
「恬憺虚無 真気従之 精神内守 病安従来」
(『素問・上古天真論』)
(恬憺(てんたん)虚無(きょむ)なれば真気之に従う。精神内に守らば病安(いずく)んぞ従い来たらん。
解釈:心がさっぱりとしてわだかまりが無ければ、体内の気はそれに応じてよく巡る。
心が内で落ち着いていれば、どうして病が起きることがあろうか。)
○古典に見られる”吉祥”:
「吉祥止止 夫且不止 是之謂坐馳」
(『荘子・人間世篇』)
吉祥は、止(むな)しきに止(あつ)まるなり。夫(そ)れ且(か)つかつ止(むな)しうせず、是れをこれ坐馳(ざち)という。
〇解釈:幸福は無心なるところに集まる。無心にならずに、さかしらな知恵を働かしていれば、坐っていながらにして馳(はし)るのと同じで、心は一向に休まることが無い。
〇妙見法号の「妙真」の由来
「妙真」は、妙見兵法桓武月辰流第二十四代宗家・千葉吉胤妙星師に名付けて頂きました法号です。私の苗字の川上には、上流ほど純度が高く、下流に行くほど濃度が薄まりやすいという因縁があります。
これを治療行為に置き換えると、私が患者さんに治療を提供する際にその効果が薄まりやすいことを示します。
そこで、少しでも純度が濃い治療を提供できるようにと、優れていることを表す「妙」と、純粋性や本質を表す「真」を合わせ、「妙真」という法号を頂戴しました。
1992年 佼成学園高等学校卒業
1998年 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業
2001年 神奈川衛生学園専門学校卒業
東京都での鍼灸院・接骨院勤務
北辰会関東支部入会
2002年 大阪府での病院勤務
2003年 東大阪市にて「かわかみ吉祥堂。」を開業
2007年 第35回 伝統鍼灸学会学術大会「頭鳴」の症例発表
2009年 大阪市北区・天満へ移転
2012年 桓武月辰会総本部に入会
2019年 院名を「漢方鍼灸院 大阪市てんま吉祥堂」に改名
まず、私が漢方鍼灸の道に進むに至った経緯からお話しさせていただきます。
私は中学・高校の6年間を野球部に所属していました。選手として様々なトレーニング法を自分自身で模索していくうちに、当時スポーツ科学が少しずつ注目され出したことも重なり、中学校2年生頃から「スポーツトレーナー」という職業に憧れを抱くようになりました。
そして、その夢を叶えるため、私はスポーツ科学を専攻できる大学へ進学しました。大学では最新鋭の科学的トレーニング法を学ぶ一方、準硬式野球部に所属し、選手兼トレーナーとして活動していました。
しかし、4年の就職活動時期に、トレーナー活動できる環境を求め、アメリカの NATA(National Athletic Trainers’ Association, Inc.)というトレーナー資格を取得された中村千秋先生に相談したところ、「日本ではトレーナー資格が整備されていないから、 体育系の大学を卒業しただけでトレーナー活動していくのは難しいね。 何か医療資格を取った方がトレーナーになる可能性が広がるよ」とアドバイスされました。
何のために大学に入学したのか一時は落ち込みましたが、大学卒業後は医療資格を取得する事に気持ちを切り替えました。 トレーナーになる為の医療資格として、現在日本では、鍼灸マッサージ師、柔道整復師、理学療法士などが挙げられます。
その中で、中村先生は「鍼灸の世界は面白いかもしれないぞ。あの業界には名人と呼ばれる人がいて、名人は色々な病気を治すみたいだよ」と鍼灸を勧めてくれました。
この時は、ただトレーナーになるための手段として考えていたので、鍼灸で病気を治すということは二の次でした。最初はマッサージ資格も取得でき、開業権があるという理由だけで鍼灸マッサージ学校への進学を選択しましたが、先ほどの中村先生の言葉は後々の私の人生を大きく左右するのでした。
大学卒業後は神奈川県小田原市にある鍼灸マッサージの神奈川衛生学園専門学校に進学しました。
同級生には、高卒者は少なく、私の様なトレーナー志望の大卒者以外にも、自動車教習所の元教官、薬剤師、小学校の校長、 海外勤務の銀行マン、喫茶店のマスターなどなど多種多様の経歴の方々がいらっしゃいました。年齢層も18歳から60歳代と幅広く、大学時代とは違い、様々な考え方に触れられ、非常に楽しくお付き合いさせてもらいました。
そして専門学校の3年間の生活を通じて、当初トレーナーを目指していた私の考え方や、進む方向性が変化していきました。
まず専門学校の授業で東洋医学と西洋医学のそれぞれの基礎医学を通じて、人体の仕組みを学び「人は何故病気になるのだろう」ということに対して、関心を持つようになりました。また’90年代後半は少子高齢社会に突入した時代背景も重なり、スポーツ選手を対象にするだけでなく、「広く一般の方のケアができる治療家になろう」という考え方に変化していきました。
それからはトレーナーの勉強ではなく、鍼灸マッサージ師の資格で出来る治療法を調べるようになりました。按摩、マッサージ、指圧、アロママッサージ、リンパドレナージュ、操体法、AKA、構造医学、カイロプラティック、整体、アップライドキネシオロジー、頭蓋仙骨療法、ロルフィング、など、鍼灸マッサージ師の資格を取得するだけで、これほどにもたくさんの治療法が選択肢としてあります。
えっ!?この中に鍼灸が入っていない?そうです、学生時代の卒業近くまで、鍼灸を治療法として考慮に入れていませんでした。
というのも専門学校の授業だけでは、東洋医学を魅力的に感じられなかったからです。東洋医学でいう“気”や”陰陽”という形として表すことができない世界観を、「どうせ机上の理論で実際には存在しないし、効く訳ないだろ~」ぐらいにしか考えておらず、その治療効果も疑問視していました。
卒業後の進路を色々と悩んでいたある日、当時私は専門学校3年の27歳で、60歳の同級生で元エリート銀行マンのTさんから、「川上君、こんな本があるのだけども読んでみなよ」とある本を勧められました。
それは、「鍼灸医学における実践から理論へ」という藤本蓮風先生※の本でした。
「真に実践する者こそは『真の理論家』である」を信念とする藤本先生の本には、東洋医学に対する情熱が肉声として聞こえて来るほどに、ひとつひとつの言葉から臨床家としての迫力が伝わってくるようでした。
内容は東洋医学の存在価値から始まり、気一元の世界観、直観と論理、人間理解としての問診、多面的観察の重要性など、いずれも専門学校では学んだことがないものばかりでした。みなさんの中にも人生を変える様な書があるかと思いますが、私にとって「鍼灸医学における実践から理論へ」はまさにそんな本だったのです。
当時、鍼灸に対して猜疑心を抱いていただけに、尚更感動した事を今でも忘れていません。「へえ~、東洋医学ってあいまいな世界だと思っていたけど、しっかりとした数学的な論理がある世界なんだな。それに肩凝り・腰痛だけでなく、腕が上達すれば重症の内科的な病も治せるんだ」と初めて東洋医学の凄さに触れられたのでした。
※藤本蓮風先生は、「2016年版 国民のための名医ランキング―いざという時の頼れる医師ガイド 全国名医276人厳選(桜の花出版)」で、鍼灸師として、ただ1人掲載された、日本有数の鍼灸師です。
さらに一番感動したことは、東洋医学とりわけ鍼灸治療は単なる病気治しではなく、患者さんの全人格を視野に入れている医学であることを藤本先生の本で初めて知りました。このことは東洋医学の診断から治療まで一貫しており、現在でも当院の治療理念の大きな礎となっております。
まず一見症状と関係のないと思えるような、食生活、睡眠、排泄物、運動状況、家庭・職場での人間関係など日常生活について総合的に問診します。その中でその人のおかれる生活環境・こころの状態の変化が、どの様な過程を経て現在の身体の状態に至ったのかを時系列的にまとめます。
次に顔色(気色)・脈・舌・お腹・背中・手足のツボ などの触診(体表の多面的観察)によって、問診で得た情報を確認していきます。
この様に東洋医学では問診と体表の多面的観察を通じて、病気だけでなく、病気の背景にある患者さんの人生までも考慮に入れ、診断・治療を行っていくのです。
いわば、東洋医学とは一人一人の人生の物語を大切にする医学と言っても過言ではありません。このことが西洋医学とは異なる、東洋医学が東洋医学たる所以であり、ストレス社会の日本において、今後最も必要される医学になっていくに違いないと確信しました。
そしてこのことを私に初めて気付かせてくれた、「藤本蓮風先生こそ、東洋医学を非常に高い次元で実践されている方だ」と感銘を受け、鍼灸マッサージ師が行える数ある治療手段の中から、鍼灸を一生の生業として選択する決断に至ったのです。
こうと決めたら真っ直ぐの私は、専門学校卒業後の平成13年、先ず藤本先生主宰の北辰会関東支部に入会させて頂きました。そして北辰会本部がある関西で鍼灸医学の学びを深めるために、1年間東京で資金を貯めた後、翌年、大阪府へ移転し、東大阪の病院にて勤務するようになりました。そして、平成15年11月に東大阪で開業し、その5年半後の平成21年5月、大阪市北区天神橋に移転し、現在に至ります。
始めはスポーツトレーナーになるための一手段にしかすぎなかった鍼灸の世界でしたが、本格的にその道を志すことになろうとは、鍼灸専門学校入学時には想像さえ出来ませんでした。これも大学時代の中村先生の言葉が潜在的に私の頭の中に残っていて、藤本蓮風先生の著書を通じて鍼灸医学の本質に触れられたことで、この道へ導かれたのだと、今さらながらに思います。
最後に、当院の治療で、一人でも多くの方々の健康的な生活のお役に立てられるのであれば、鍼医者としてこれ以上に嬉しいことはありません。辛いお悩みを抱えていましたら是非”大阪天満 かわかみ吉祥堂”にお気軽にご相談ください。
当院は、漢方理論に基づく鍼灸治療を施す鍼灸院です。症状によって、妙見法術活法を行っております。その経緯は、次になります。
鍼灸治療を行ううえで、漢方理論の習得と同じ位、ときにそれ以上に大切なのが、感覚の養成です。術者の優れた感覚は、患者さんの病気・症状の発症の根源に繋がる部位を察知するために、鍼灸師にとって必須の能力です。
当然、鍼灸治療の中で、感覚を養っていくことが前提ですが、鍼灸の師匠の藤本蓮風先生に、「武道が、鍼灸治療を行ううえでの感覚・精神面のいい鍛錬になる」と勧めていただいたことがきっかけで武道を始めることにしました。小学生の頃にプロレスに熱中したことがありましたが、中学から大学まで野球一筋で、30歳過ぎまで武道とほとんど縁がありませんでした。
そこで、幾つかの武道を体験する中で行き着いた一つが、桓武月辰流柔術でした。桓武月辰流柔術は、桓武天皇、平将門を血統とし、千葉常胤公を始祖とする千葉一族に伝わる「妙見法術」に基づいた武道です。
「妙見法術」は、北極星を中心として、その周りを回転する北斗七星の観察によって森羅万象を捉え、体系化された法術です。妙見法術には、陰陽中庸の法則を、机上の空論としてではなく、実生活でより良く生きていくための智恵が豊富に蓄積されています。その「妙見法術」に基づく医療が妙見法術活法、武道が桓武月辰流柔術に当たり、この二つで表裏の活殺の術をなします。
漢方医学を行う者にとって、陰陽を巧みに扱うことは永遠のテーマです。また、私が所属する鍼灸の研究団体である「北辰会」で、千葉家の子孫の千葉周作成政が創始した剣術の流派の「北辰一刀流」と浅からぬご縁を感じ、2012年に「桓武月辰会総本部」に入会させていただきました。
そして、2016年に、「妙見法術活法」の奥伝公開に伴い、妙見兵法桓武月辰流第二十四代宗家・千葉吉胤妙星師から、直接ご指導を受ける機会を頂いております。
妙見法術は、事象の質的転換を促すのに優れ、少数鍼治療と非常に相性の良い術式です。
この「妙見法術活法」は、本来、門外不出の千葉家独自の術理体系です。2016年6月に奥伝の公開に至った要因の一つとして、医療の本道から外れた治療技術で溢れかえっている治療業界の現状に、千葉宗家が憂いを抱かれたことにあります。
そういった想いを抱かれている宗家のお教えを受け、一人でも多くの、ご来院される方の心・体の闇(病み)から解放される一助となるよう、妙見法術活法を提供させていただきます。